
2009年12月31日
日枝神社と聞くと、多くの人が赤坂日枝神社を連想するだろうが、
本社はこちらである。
太田道灌が文明10(1478)年この日枝神社を江戸城紅葉山に
分祀したことが「落穂集」や「江戸砂子」などに記されている。
かつては講堂(寛永の大火で焼失した後、徳川家光により再建)があった。
その講堂は現在、上野寛永寺の本堂となっている。
寛永寺が戊辰戦争で焼失したため明治9(1876)年に移築し、
翌年完成したという。
小江戸川越専科 冬便りより
時刻 19:18 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 記事URL
2009年12月30日
元和2(1616)年に没した徳川家康を日光へ
移送する途中、天海僧正が喜多院薬師堂に
4日間留めて大法要を営んだことで、
寛永10(1633)年に建立された。
それほど大きな建物ではないが、
家康の遺骸を直接法要したことで、三大東照宮の
ひとつと称されている。
ふだんは施錠され、門の中へは入れない。
小江戸川越専科 冬便りより
時刻 19:13 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 記事URL
2009年12月29日
049(224)0589
約1500年前、古墳時代に欽明天皇の
即位2年目に創建され、武蔵の国造が
大宮の氷川神社より分祀、奉斎したことが
始まりと伝わる。室町時代に長禄元(1457)年に
川越城を築城した太田道真・道灌父子が
あつく崇敬し、道灌は和歌を献納している。
江戸時代に入ると、歴代の川越藩主は
当社を藩の総鎮守として尊崇。
本殿には江戸彫りと称される精巧な彫刻が施されており、
県の有形文化財に指定されている。
また境内には江戸城二の丸東照宮として建立された八坂神社、
柿本人麿を祭神としている人麿神社、木造大鳥居など、
歴史的価値が高い建造物が並び、見どころ満載。
さらに、月に2回(1日・15日、8時30分~)誰でも参列できる「月次祭」など、
さまざまな年中行事を開催している。
有名な川越祭(氷川祭の山車行事)は当社が起源。
小江戸川越専科 冬便りより
時刻 19:52 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 記事URL
2009年12月28日
049(222)2414
永和元(1375)年、南北朝時代の後期に
池上本門寺の第四世大鷲妙泉阿蘭梨の
日山聖人によって、現在の幸町に開創。
そして寛保元(1741)年、松平伊豆守信綱が
川越城を改修するため、現在地に移築したという。
また、毎年、土用の丑の日には、「ほうろく灸」という
伝統行事が行われ、多くの崇敬者を集めている。
小江戸川越専科 冬便りより
時刻 19:35 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 記事URL
2009年12月27日
049(222)3321
室町時代後期の永禄元(1558)年、
小田原北条氏の重臣で、川越城の
武将大導寺政繁が建立したというお寺。
当初は建立寺と称されていた。
文政10(1828)年と天保11(1840)年、2度の大火事で
焼失したが明治14(1881)年に再建立され現在に至る。
境内には浄土宗の念仏行者で名高い
徳本上人の名号碑がある。
小江戸川越専科 冬便りより
時刻 18:31 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 記事URL
2009年12月26日
049(222)0043
天文年間( 1532~1533)、感誉上人が
大導寺駿河守政繁の母、蓮馨尼の懇請によって
創建されたお寺。
関東十八檀林の一つで、旧幕時代は、
家老でさえも門前を通るときは下馬し、
さらにやりを倒して通っていたほどの格式を持っていた。
祈願堂には社会事業の先駆者であり
、生きた仏としてあがめられた呑龍上人が祀られている。
小江戸川越専科 冬便りより
時刻 10:28 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 記事URL
2009年12月25日
049(222)0173
昔から川越の人に「お不動さま」で親しまれている寺院。
山号は成田山で、正式な寺号である本行院よりも、
成田山別院として広く知れ渡っている。
嘉永6(1853)年、十数人の有力な世話人たちが
当時廃寺となっていた久保町の本行院を再興したのが、
当院の歴史の始まり。
また「亀の池」で親しまれている北門脇の
「放生池」には、縁結七福弁財天と水掛不動尊、
水子地蔵尊が祀られ、自由に参拝することが可能。
毎月28日には川越不動蚤の市が開催され、多くの人々でにぎわう。
小江戸川越専科 冬便りより
時刻 18:23 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 記事URL
2009年12月24日
049(222)0859
仙芳仙人の故事によると、その歴史は
奈良時代までさかのぼるといわれる喜多院。
言い伝えによると、仙波周辺に満ちていた海水を
仙人の法力により除き、そこに尊像を安置したという。
平安時代になると天長7( 830) 年、
慈覚大師円仁により勅願所が創建され、
本尊の阿弥陀如来をはじめ、不動明王などを祀ったという。
ところが、寛永15(1638)年の川越大火で山門を除くすべての建物が焼失。
そこで江戸幕府三代将軍徳川家光は、
堀田加賀守正盛に命じてすぐに復興にかかり、
江戸城紅葉山の別殿を移築して、客殿、書院等に充てた。
これにより、家光誕生の間、春日局化粧の間が当院に存在するのだ。
慈恵堂、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、五百羅漢など、境内は見どころが満載。
小江戸川越専科 冬便りより
時刻 19:18 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 記事URL
2009年12月23日
049(222)6151
450年もの歴史を誇る寺院で、祀られている
大日如来本尊は平安の作という、市内で
最も古い仏像の一つで、市指定文化財となっている。
境内は緑が深く、四季を通じて美しい花が
咲くことから草花の寺院とも呼ばれている。
また当寺は、武蔵国十三仏霊場の
一番霊場としても有名。
埼玉県下の13の寺に、それぞれ仏様が祀られていて、
すべてをお参りすることで、仏様と縁を結べるといわれている。
小江戸川越専科 冬便りより
時刻 10:14 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 記事URL
2009年12月22日
049(222)7559
寛永元( 1624) 年、中院の尊能法師により
開山されたといわれる、中院の末寺。
(江戸中期に焼失し、昭和53年に再建) 、
380年もの歴史を誇る。また、境内には、
さつまいも地蔵が祀られていて、
毎年10月13日には「いも供養」が行われている。
創建時の本尊は薬師如来であったが、
今の本尊は智証大正の作といわれる
不動明王が祀られている。
川越専科 冬便りより
時刻 19:07 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 記事URL