
2009年10月10日
~江戸の名工作 由緒ある山車は県の民俗文化財~
明治になると山車の後につづいて練り歩いた踊り屋台や底抜け屋台などが次第に姿を消し、川越祭の運営は山車が主体になってくる。
明治26年の川越大火では、本町と多賀町の山車と人形を焼失したが、一方、十ヵ町以外の六軒町が山車を新調して新たに参加している。
※多賀町は時の鐘辺りの昔の町名 本町と多賀町の山車が残っていれば貴重な文化財だったはず。残念です。
明治から大正にかけては、伝統をもつ各町でも山車、人形の改修、新調がつづき、江戸以上の豪華なものが現れる。山車の囃子台が360度水平回転する川越独自の構造(川越型)も、この頃に始まっている。
山車の主題である人形は御神像として最上段に飾る。
翁(おきな)や三番叟(さんばそう)、龍神などのように能楽に取材したものや、浦嶋太郎や弁慶、太田道灌など歴史や民話から題材を取り入れたものもある。
現在、旧市街地の観光重点地域を曳き回す山車の総数は29台。そのうち幕末から明治、大正時代に作られた10台が埼玉県民俗文化財に指定されている。
これらの山車や人形の作者は、仲秀英(なかしゅうえい)、原舟月(はらしゅうげつ)、鼠屋(ねずみや)五兵衛など、江戸で何代もつづいた人形師の名人が多い。
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